ハマの「ものづくり」コンサル会社奮闘記

〜シニアコンサルタントは見た。これが日本のモノ作りの現場だ!〜 現場は無理・無駄・難題の宝庫で、唖然呆然の毎日・・・彼らの目に映るものは、ありふれた日本のメーカーが抱える悩みや課題ばかりだ。

やはり「船場吉兆」が廃業

「船場吉兆」に関しては、かねてから様々な不祥事が取り沙汰されてきただけに、やはり来るべきものがきたという感じです。直接のきっかけは「食べ残し食材の使いまわし」ですが、これは積年の問題が顕在化した現象的な結果で、根はもっと深かったのでは・・・と推測せざるをえません。

思うに、老舗の名店というのは、お店の味と格式(これはもう死語に近い言葉かもしれませんが)を守る店主と店員さんの努力や精進もさることながら、長年に渡ってそのお店を愛しつつも厳しく評価し、叱咤激励する贔屓客(ひいききゃく)の存在が不可欠なのではないでしょうか。「船場吉兆」にはそうした真の意味での上得意客はいなかった(あるいはとうの昔に離れていった)のかもしれません。

そもそも高い料金を払って、出された料理に手も付けないで帰るという客層にも問題がありそうですが、そうしたお客様がいることに何の疑問を感じなかったということ自体、全く危機感や緊張感が感じられませんし、ましてやそれをいいことに、その食材を別なお客様に使いまわすなど、とても老舗のやることではありません。

老女将は今回の一連の不祥事の原因を問われて、老舗の暖簾(のれん)に胡坐をかいてきた結果だとコメントしましたが、そんな一言で済まされては、即日解雇された従業員たちはたまったものではありません。とにかく後味の悪い一件でした。

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HP社から低価格小型ノートパソコン発売

パソコンとの付き合いはもう30年になろうとしている筆者ですが、日本HP社から来月6万円という低価格の小型ノートパソコンが発売されるとのニュースに接し、とうとう来るべきものが来た・・・という想いがよぎりました。

小型低価格ノートパソコンはすでに別メーカーからも発売され、一部のパソコンユーザーに支持され、ある程度売れていることは知っていましたが、HPのような名の通ったメーカーが画面が小さいとはいえ、それ以外はフルスペック(Windows Vista搭載で、1ギガメモリー、120ギガのハードディス)の低価格パソコンを売り出すことは、今後のパソコン市場の価格破壊を予想させる出来事です。

パソコンの価格破壊といえば、思い出すのは1990年代始めに当時のコンパックコンピュータ(2002年にHPに合併されたことはまだ記憶に新しい出来事ですが)が日本に進出したときに起こしたDOS/Vパソコンによる価格破壊「コンパックショック」です。あの当時日本のパソコン市場はNECのPC98の独壇場でしたが、それ以降世界標準のDOS/Vパソコンが日本市場を制覇していき、ついにWindows98の登場とともに、PC98は市場から消えていきました。

歴史は繰り返すです。ノートパソコンの低価格化の流れはもはや止めることはできず、おそらく日本メーカーのハイスペックな高価格超小型パソコンは、今後リーズナブルなスペックの低価格小型パソコンに市場を侵食されていくことでしょう。

HPに関してはつい先日大手の情報処理サービス会社であるEDSを買収するとのニュースが流れました。コンパックとの合併後、しばらく鳴りを潜めていた感があったHPですが、今後のIT業界の「台風の目」になりそうな雲行きで、しばらくは目が離せそうもありません。

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目を覆うばかりの中国四川大地震の惨状

1週間前のこのコーナーで地震の話題を取り上げたばかりですが、今回も地震の話題に触れずにはおれません。

12日に発生した中国四川省のマグニチュード7・8の大地震は発生から間もなく、生存者救出のタイムリミットといわれる72時間を迎えようとしています。思うに、今回の地震は犠牲者24万人を出した20世紀最悪の地震といわれる76年の唐山地震(M7・8)に匹敵するもので、今後も時を経るに従い犠牲者の数は増えていくことでしょう。
今回の悲惨な地震被害の報道写真を見ていて、筆者の愛読書でもある「老子」に以下のような言葉があるのを思い出しました。

天地は仁あらず。万物を以て芻狗(すうく)と為す。

 〜「老子」第5章より〜

その意味するところは、
天地に仁(慈しみ)は無い。天と地にあるすべてのものは、(祭りで使われる)藁(わら)で作った狗(いぬ)のようなものだ。(藁の狗は祭りで使われた後は地面に打ち捨てられて、踏まれて跡形もなく消えてしまう)

それにしても、10日前に巨大サイクロンに襲われたミャンマーの被災者救済すら覚束ない中での、今回の大地震ですから、中国政府の対応如何に関わらず、こうした大災害は今後のアジア情勢に大きな影を落とすことになりそうです。わが国も決してよそ事ではなく、いつこうした大災害に襲われても不思議ではありません。

中国人民の多くはいまは悲嘆のどん底にいることでしょうが、古代中国の先人たちは上述の老子の言葉に表された「人智を超えた圧倒的な存在である天地の非情」を思いつつ、こうした大災害にもめげずに再び日々の生活を逞しく送っていったに違いありません。そうした先人たちの叡智と逞しさを忘れずに力強く復興してほしいと切に願います。

先週は災害に備えるための「治にいて乱を忘れず」の心構えを説きましたが、ローマ帝国の賢帝マルクス・アウレリウスの著した「自省録」に、変転極まりない人生を生きていく「究極の心構え」が説かれていますので、紹介しておきましょう。

何人も「過去」や「未来」を失うことはできない、人が失いうるものは「今現在」のみである。

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未明の地震に思い知らされた「治(ち)にいて乱を忘れず」の心

タイトルの言葉の出典は「易経」だそうですが、その意味するところは

「平穏無事な世の中であっても、いついかなる災難が起こるか分からないので、常にそれに備えた用意をしておかなければならない、という戒め」
日本辞典より〜

なのだそうです。

本日未明の地震は、ここ横浜でもかなりの大きな揺れを感じましたので、ビックリして目を覚ましてしまいました。
昨年の夏以来、世の中は騒々しいことばかりで、とても「治」(=世の中が平穏無事な状態)からは遠い「乱」の状況が続いていましたので、こんな古代中国の諺すらいつの間にか忘れていましたが、今回の地震で改めて思い起こしました。

そういえば、皆さんは平素から地震などの非常時に備えて、何か心がけていることはありますか?
さほど多くはないのですが、筆者が日頃心がけていることを書き留めておきましょう。

<非常時に備えて心がけていること>
(1)飲料水としてペットボトルに水を蓄えておく。(といってもせいぜい2〜3リットルですが)
(2)風呂場の水は次に沸かす時まで捨てないで貯めておく。(水洗トイレ用として)
(3)非常時の煮炊き用に七輪とバーベキュー用の炭を切らさない。(夏場は時たまベランダでバーベキューをします)
(4)特段の用事がない限り、多摩川の向こう側(特に都心)には行かない。
(5)持ち歩くバッグはリュックサック型にして、極力両手が空いた状態で歩けるようにする。
(6)寝室には極力家具類は置かない。置く場合は倒壊防止金具で固定する。

ちょっと気がかりなニュースを目にしました。

気象庁は本震の際、初期微動をとらえ、揺れが来る前に知らせる緊急地震速報を、発生の58秒後に一般向けに発表し、NHKなどで放送された。しかし、ほとんどの地域で揺れに間に合わなかった。 
〜時事通信配信のYahoo! ニュースより〜


とのこと。現在のアナログ放送でも、対応できなかったということに少なからずショックを受けました。

2011年7月からの地デジ放送移行後は、現在のアナロ放送よりもこうした緊急地震速報に数秒間のタイムラグが起き(多分信号のエンコードに時間が余分にかかるのでしょう)、現在のような瞬時送り出しができなくなるのでは・・・といわれているからです。

地デジ放送移行後の緊急地震速報が本当に使い物になるのか、とても心配です。

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ISO(アイ・エス・オー)を巡る悲喜劇コモゴモ 〜その4〜

■弊社コンサルタントの生々しい実体験
<会社A(サービス業)>
推進事務局のみで孤軍奮闘、一般社員は無関心、社長もノータッチで最悪のパターン。
結局ISOの取得は行わなかったが、業務マニュアルや職場環境の整備(整理整頓)などはISOが契機となって進展した。そのことだけでも満足してもらえたようだ。

<会社B(サービス業)>
ISO取得後、1年半で減収にも拘わらず増益を果たした。
もともと客先とのトラブルが絶えない会社で、仕事のイロハがなっていなかったところに、ISOの導入で「当たり前のことを当たり前にやりましょう」という改善をちょっとやっただけ。
その会社にコンサルのために出張する前の晩も9時ごろ、急遽翌日の打ち合わせキャンセルの電話があった。何のことはない、その会社が返品のトラブルに遭遇し、休日出勤で手直ししているのでとてもISOなどにかまっている余裕はないとのこと。
しかし、あとでよくよくそのトラブルの原因を探っていったところ、営業部員が客先での商談時にノートすら取っていないことが判明。「客先ではノートを取りましょう」という当たり前のことを実行してもらったところ、その種のトラブルは激減。

<会社C(建設業)>
工場から部材と工具を運び、現場で組み立てを行っているが、標準的な工具と部材は工事用車両に常備しているものの、積み忘れによる「出直し出動」で工事の遅れが度々発生。これを事前に防ぐために「積載品のチェックシート」をひとつ追加しただけで劇的に変化した。「出直し出動」回数は大幅に減り、今までは漫然と積んでいた常備品も本当に必要かどうかの「棚卸し」を実施し、スリム化。これにより工事用車両の燃費も向上した。これもきっかけはISOの導入だった。

<会社D(製造業)>
クレームに対してはその場限りの対応で、その後の原因究明も対策もなし。
ISO導入を契機に再発防止のための「クレーム処理手順」を作り、クレームの再発は激減。


■結びにかえて・・・会社の取り組み方により、全く違うその効果
もともとこの話題はきれいにまとめる積もりはありませんでしたので、蛇足になってしまいますが、もう少しお付き合いください。
最後に私の経験の続きをお話しましょう。
私はその後設計部門とより緊密に付き合う部門に異動しましたが、そこの設計課長はISOを上から押し付けられたものというようなネガティブには捉えていませんでした。
即ち、ISOを設計上のプロセス管理にうまく活用して、業務に関する指揮命令系統と責任分担の明確化や、それぞれの設計イベントごとのインプット情報とアウトプット情報をあるべき姿に照らして定義することで、設計業務を企画段階の源流から見直し、設計の業務改善と生産性を向上させようとしていました。
かつてのISOのドタバタ劇をはじめとして、いろいろな経験を積んだ今にして思いますと、「ISOは導入する側のスタンスで毒にも薬にもなりうる」といえるのではないでしょうか。ISOの導入が目的ではなく、ISOはあくまでも業務改善のツールとして、現場で使いこなすこと、それが私の苦い経験から学んだ教訓といえるでしょう。

弊社のISOコンサルタントもほぼ同様な意見のようです。
「ISOは『錦の御旗』か『水戸黄門様の印籠』のようなもの。大抵の場合、現場もこれで動くし使わない社員はほとんどいない。ISOの対応すらできないひどいレベルの社員は辞めていく。経営者やマネージメント層が、経営のツールとしてこれを使う意志があるか否かで効果は天と地ほども違うものになる」

「会議」を例に取りましょう。
漫然と会議をやるのではなく、その会議の「インプット」と「アウトプット」を予め明確にすれば、結論がでないまま終了することはなくなることでしょう。
「稟議書」も責任者が複数人数いるのは意味がありません。曖昧だった責任分担と権限の範囲が明らかになれば、不必要に押されていたハンコの数も減ることでしょう。
「書類」も必要以上に記載事項が多ければ、改訂される頻度も増え、いつしかタイミングよくメンテナンスされずに、業務実態と違う記載内容が温存されますので、必要以上に体裁を整えて余計な内容を記載することはありません。

要は当たり前のことを当たり前にやり、それがキチンと文書化されていればいいだけの話です。
推進役を努める社員の資質の見極めも重要です。ISOの担当者を指名する場合、「仕事をしているフリをするのが得意な社員」は余計なことをやりたがりますから、まず候補者リストから外すべきです。
これからは「身の丈に合ったISO」の仕組み構築し、それを利用して上手に「経営のツールとして使いこなす」時代になることでしょう。

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