ハマの「ものづくり」コンサル会社奮闘記

〜シニアコンサルタントは見た。これが日本のモノ作りの現場だ!〜 現場は無理・無駄・難題の宝庫で、唖然呆然の毎日・・・彼らの目に映るものは、ありふれた日本のメーカーが抱える悩みや課題ばかりだ。

山口県光市の母子殺害事件の「差し戻し控訴審」判決が昨日下されました。

最高裁での異例とも言える「差し戻し」判定で予想されたこととはいえ、今回の死刑判決は続発する未成年の凶悪事件に対し、「不寛容」にならざるをえない「時代の空気」が後押しした結果でもあることは否めないようです。
ただし、今もって気になるのは、このような凶悪な事件を起こした犯人が生まれ育った家庭環境や、精神形成上の過程で影響を与えた具体的な事象がどのようなものであったかということです。今回の裁判の報道をみてもそれが見えてこないので、今後こうした犯罪を抑止するための処方箋が全く見えてこないもどかしさが残ります。

この事件とは直接関係はないのですが、もう大分前に子供たちにインタビューしたテレビの番組で、「人を殺して何が悪いのか分からない・・・」と平然と答えていたのをみて、唖然とすると同時に慄然としたのを思い出しました。これは単に教育の良し悪しだけの問題ではなく、大人の社会の歪みが知らず知らずのうちに子供たちの心を蝕んでいることの証左なのかもしれません。

筆者の独断ですが、あの犯人は幼年時代に周囲の人々から祝福されて、大切に育てられた「幸福の記憶」のようなものが全くなかったのではないのでしょうか。そういう小さいが貴重な記憶を重ねながら生きていけば、他者への思いやりや想像力も培われ、こんな酷い事件は起こさなかったはずです。

それにしても、9年の長きに渡って、悲しみと怒りと絶望を乗り越えて、法廷内だけでなく、法廷外でも戦い続け、昨日の判決を勝ち取った本村洋さんの人間的な大きさと精神力の強さは驚嘆すべきものです。筆者がもしあの年で本村さんの立場に置かれたら、とてもあんな立派な行動はできません。今回の忌まわしい事件の唯一の救いは本村洋さんの存在そのものと言っていいでしょう。
それに比べて弁護士団の態度とコメント内容の何と矮小でお粗末極まりないことか。

PageTop

ISO(アイ・エス・オー)を巡る悲喜劇コモゴモ 〜その3〜

■ISO9001導入効果に関する弊社ISO コンサルタントの見解
弊社では2007年の3月から(株)工業調査会が発行している月刊誌「M&E」に設けられた「ものづくり技術Q&A」コーナーで回答執筆を担当していますが、2007年の5月号にISO9001の実効性に関して疑問を投げかける質問が寄せられました。弊社コンサルタントの見解がコンパクトにまとめられていますので、(株)工業調査会 M&E編集部のご了承を得て、以下に転載いたします。


〜株式会社 工業調査会発行 M&E2007年5月号「ものづくり技術Q&A」より〜
回答担当:(株)浜テクアート主席コンサルタント 永江 究

Q:ISO9001を取得したものの、業務改善できない・・・どうすれば良いか?」(京都府 メーカー 男性)

A:日本でISO9001の取得が始まってから十数年が経ち、登録組織数も54,000件に達していますが、残念ながら現在でも
「書類が増えて、余計な仕事も増えて、面倒くさくなっただけで、うちの会社は何も良くなっていない」という話を少なからず耳にします。
これには大きく分けて2つの原因があります。

■原因1:品質マネジメントシステム(以下、QMS)が、会社の役に立つために有効に機能するように作られていない。
■原因2:経営者に、経営理念の実現のためのツールとしてISOを活用する考えがない。
この2つに起因した事例と改善策を、次に述べます。

1.ISO取得準備段階でQMSを構築するにあたり、ISO規格要求事項に対し過剰に厳格で複雑な仕事のルールにしてしまい、ルール通りに仕事をする事が困難なQMSになっていることが考えられます。
□事例1:文書の最新版が第何版なのかを証明するために、台帳で管理した上でその台帳が最新版である事を証明するための台帳の改訂履歴を作り、管理責任者が台帳と共に鍵のかかるキャビネットで保管する事にしていた。
そのため、文書を常に最新版にする、つまり改訂版を発行する事を敬遠するようになり、文書と実際の業務とが乖離していた。
加えて、最初にQMSを構築し文書類を作成した者が会社の中枢にいる幹部であったため、文書改訂が暗黙のタブーとなり、文書改訂に繋がるような改善は避けて通るようになっていた。
□改善策1:管理責任者を含めた幹部に対し、QMSが過剰に厳格で複雑になっており、機能しなくなっていることを理解していただく。
ISO規格要求事項を最低限満たすレベルで、自分達が納得できる自分達のため・会社のために役立つ仕事のルールに変え、ISOの審査のための文書と記録は廃止するという姿勢で、QMSを抜本的に見直し再構築します。

2.顧客からISO取得が商取引の条件とされたため、やむなくISOを取得し、経営者もISOに係わるコストを営業経費と割り切って登録を維持している会社が散見されます。
また、経営者を筆頭にした幹部がISOを取得し維持することで十分と考え、QMSの構築段階での業務の標準化、ノウハウの共有化などのレベルで留まっている会社があります。
さらに、経営者が目指す会社運営のあるべき姿を実現するためのマネジメントツールがシステムに組み込まれている事を経営者がよく理解していないため、経営者を含む幹部にISOを有効活用しようという発想がない事などが考えられます。
□事例2:品質目標がスローガン的なものとしては定められていたが、その目標を達成するための手段・方法を検討し、実行している形跡は無く、ましてや達成度の評価とその結果に対する対応などは全く行われていなかった。
ISO事務局に、予防処置はどのような事をやっていらっしゃいますかと伺ったところ「難しいんだよね。不適合を是正処置として対応するのか、予防処置として対応するのか、振り分ける基準でいまだに悩むんだよ」と答えられ、唖然とした事があった。
経営者に、“マネジメントレビュー”について質問すると“インタビュー”と勘違いしてご返事いただいた。
□改善策2:QMSの中での改善のためのキーポイントは、品質目標、是正処置、予防処置、内部監査、マネジメントレビューです。
これらのISOの改善のための要求事項を、担当者レベルだけではなく経営者やその他の幹部、管理責任者、ISO事務局などがよく理解し、自分達の会社に合った仕組みと活用方法を構築します。
その結果「ISOを活用しない手はない、有効に使って継続して改善を進め、製品も会社も良くして行こう」という機運を盛り上げて、有効活用、改善に繋げます。
(以上:株式会社 工業調査会 M&E編集部のご了承の上、2007年5月号より転載)

これは技術者向けの真面目な月刊誌に掲載された内容なので、かなり抑えたトーンの文章で書かれていますが、その基になった現場の実体験を聞いたところ、かなりのカルチャーショックだったそうです。

次号にその辺りの事情を紹介しましょう。
(以下次号に続く)

PageTop

「後期高齢者医療制度」の評判の悪さ

このところ様々なメディアで取り上げられているので、当初の違和感は薄らいだものの、何となくこのネーミングとこの制度の評判は芳しくないようです。聞くところによると、この制度は団塊の世代が75歳以上になる2025年に向けて制度設計がなされたとのこと。確かに筆者は昭和24年生まれで今現在58歳の団塊の最後尾にいる人間なので、2025年に75歳を迎えます。そのとき保険料をガッポリ取れるように今から備えを万全にしておこうということなのでしょうか。

それにしてもこの制度は政治家たちはいうに及ばず、当のお役人たちにも分かりにくかったようで、保険料の徴収ミスがあちこちで起こっているようです。
恐らく遠い先を見すぎて、身近な問題点をいちいち検証したり、拙速で事を運ぼうとしたときの現場の混乱までは想いが至らなかったのではないでしょうか。

遠い将来のことは別にして、いま現在でもなけ無しの年金から天引きされて、貴重な食費の数日分に相当する額の取り分が減ってしまい、途方に暮れているお年寄りの話が報じられるのを観ると、とても他人事とは思えません。

団塊の世代の一員として思うに、民間企業は定年後のこの世代狙いの商品やサービスの開発に血眼になったり、地方自治体はUターン・Iターンのこの世代を呼び込もうといろいろ画策したりしているうちはまだこそばゆい感じだけで済みましたが、国が「棺桶に片足を突っ込む」ような歳になっても我が世代に重い公的負担を負わせようと画策しているのを観ると、さすがに腹に据えかねて、どこかよその国に引っ越してしまいたくなります。そういえば、昔は重い年貢に耐えかねて村民が別な藩にまとまって逃げてしまう逃散(ちょうさん) という抵抗手段があったのを思い出しました

PageTop

ISO(アイ・エス・オー)を巡る悲喜劇コモゴモ 〜その2〜

■日経ビジネスでも取り上げられたISO 導入悲喜劇の数々
もう一昔前の話になってしまいますが、日経ビジネスでは1999年10月25日号から3週にわたって「こんなISOはいらない」シリーズを掲載し、その実態と効果に対して疑問を投げかけました。のちにこの記事は2006年6月に「こんな経営手法はいらない」(日経ビジネス[編] 日経BP社発行)のひとつの章として上梓されました。

このシリーズでは
・ISO9001を下山工場(エンジン製造)でテスト的に取得後、全社的なISO9001取得の必要性を認めなかったトヨタや、
・ISO9001を取得したにもかかわらずリコール隠しが発覚した3ヵ月後に認証の更新期を迎えたが、問題点の指摘のみで認証が取り消されることはなかった富士重工
・93年ごろから導入開始したものの、組織が変わるたびに書類の作成・メンテナンスが必要となるなど「カネと手間ばかりかかる」ということで工場長クラスから「もうISO9000はやめないか」という意見も出るようになった日立製作所
・「毎月第2、第4土曜日はISOの日」とし、ISOの要求する書類を「偽造」しているゼネコン準大手A社
文書管理規定が18ものバインダーに収められ、多いものだと承認印の欄が20個にもなってしまい、ISOの更新審査の度に書類のつじつま合わせをするハメになった大手電機メーカーB社
・ISO取得を契機に品質担当者が過大な権限を持ってしまい、通常ならば権限外の購買方針にも口を出し、「購買先はすべてISO取得企業で揃えたい」などといいだし現場を不必要に混乱させてしまった大手自動車メーカーの子会社C社など、
さもありなんと思われる事例が次から次へと紹介されています。

■ISOは本当に品質向上に役立つのか?
筆者の個人的な経験(トラウマ?)からの先入観も手伝っているかもしれませんが、ISO9001が製品の品質向上に役立ったかどうかは大いに疑問です。面倒な書類作成業務は増えるし、余計な承認印を押してもらう手間はかかるし、内部監査で聞かれたときにバカのひとつ覚えよろしくお応えする「セリフ」は覚えなければならないし・・・、とにかく現場の人間にとっては、やらされることばかりです。「会社は役所じゃないんだ、いい加減にせい!」といいたいのをグッとこらえつつ、なるべくISOとは係わり合わないようにしようと逃げ回ってもいました。
その一方、ISOの関係者の査定は最高ランクにつけてやっていいのではないか、なぜならあんな面白くない損な役回りの仕事を我慢してやっているのだから・・・と思っていたことも事実です。
(以下次号に続く)

PageTop

例年にない猛烈な「春の嵐」の後に残されたもの

昨日通過した台風並みの低気圧は、激しい暴風雨を横浜にももたらしました。
今朝もまだその名残の風が海岸通りを吹き荒れています。

雨は降っていませんでしたので、本日も自転車で「みなとみらい」を走り抜けてオフィスにやってきたのですが、ちょっと気になったことがあります。
歩道の植え込みに昨日の暴風雨で骨が折れた傘が何本も打ち捨てられていたことです。

今の折り畳み傘はコンパクトで普段持ち歩くには邪魔にならずに便利なのですが、風に煽られると骨がすぐにやられてしまい、補修も効ききそうもないので、捨てるしかありません。昔でしたら、2000〜3000円と高価でしたので、捨てずに使える限りは使ってたのですが、今では数百円程度で買えますので、消耗品感覚で捨てていくのでしょう。
この傘の例のように、最近の日用品は「百円ショップ」があちこちにできたこともあり、安くなった反面、非常に華奢(きゃしゃ)になり、修理をして長く使い続けるということがなくなったようです。

これと全く逆の経験もしています。日用品の代表的なものは調理器具ですが、我が家ではアメリカ製の有名ブランドのフードプロセッサを20年以上使っていますが、業務用にも使われているだけあって今でも故障知らずで、ギョーザの具作りや自家製味噌作りで活躍しています。
それから昨年長女夫婦から「母の日」と「父の日」兼用でもらったフランス製の鋳物ホーロー製の鍋もズッシリと重いのですが、質感があってデザインもしゃれているので、若い人の結婚祝いなどに喜ばれているそうです。この鍋をもらって以来、我が家から娘夫婦へのおかずの差し入れの回数が増えたように思います。これも一生(いや多分娘の代になっても)使えることでしょう。

年を取ったせいでしょうか、最近は昔から使われていたシンプルでしっかりとした「メカニカル」なものに惹かれます。「メカ」は部品を取り替えれば、修理が効きますし、故障も大抵目視や叩いたときの音などで発見できます。最近のエレクトロニクス商品はどこに不具合があるか分からないため、何か問題があれば基板をそっくり取り替えてしまう例が多いようですが、何となく抵抗感があります。

そんなことを思い浮かべながら、オフィスにたどり着きました。

PageTop

ISO(アイ・エス・オー)を巡る悲喜劇コモゴモ 〜その1〜

■はじめに
ISO9001(企業の品質マネジメントシステムの要求事項を規定している国際的な規格)は90年代前半に日本の企業で導入が始まりました。1994年後半から現在までのその認証を受けた法人数(正確には「適合組織数」という表現を用いますが)の4半期ごとの推移は財団法人日本適合性認定協会のサイトのISO9001認証組織統計データの(6)適合組織 四半期推移グラフでご覧いただけます。
これによりますと、94年以降2005年ごろまで増加していた適合組織数が2006年に頭打ちとなり、2007年から漸減傾向を示すようになりました。
このデータひとつをみても、ISO9001はひとつの時代を終え、転機を迎えていることが伺えます。

■ISO9001の思い出
かつて家電メーカーに在籍していた90年代の初頭に、当時いた会社が日本でもかなりトップを切ってISO9001を導入したのを傍目でみていた経験からお話しましょう。

今から15年ほど前のことでしょうか。当時私はある会社の新商品の市場開拓担当でした。
その商品は非常にニッチで「オタクですら手を出さない」代物で、とても売り物にはならないだろうという妙な確信を抱いていましたが、何故か大勢の人が集まるイベントの余興としてはとても重宝して喜ばれるため、「本業」以外での「客寄せパンダ」としてお呼びが頻繁にかかったものでした。

その日も、横浜近郊に新社屋をオープンしたISO関連のコンサルティングと認証サービスを手がけている外資系の会社のオープニングパーティに呼ばれて、いつものようにデモ機材一式を持ち込み、一応そつなくお役目を果たしました。

私がこのパーティに呼ばれたのは、私の会社のある事業部が全社に先駆けてISO9001を取得活動中で、そのために監査業務もやっているこの会社の覚えをメデタクしておこうという不純な動機と魂胆はミエミエでした。
このパーティに私と同行したのは品質管理部門の部長(信楽焼きの大ダヌキにそっくりで品質管理部門には不利な容貌をしていました)とそれに従う「付き人」のような課長です。

この部長の容貌が災いしたのでしょうか、察するにその日に至るまでは、連日ISO取得のためにこのコンサルティング会社から日常の品質管理業務の目的やプロセスの明文化(エビデンスというのでしょうか)を巡って、質問攻めという「厳しいシゴキ」に遭っていたようでした。
パーティの酔いもあって緊張の糸がきれたのかもしれません、パーティ会場とは別の真新しいその会社のオフィスに闖入し、ファイル棚から勝手にバインダーを取り出して、「この書類は何のためのものですか?」などとふざけて、失礼にもコンサルタントの先生方に逆質問し、日頃のウップン晴らをしたりしていました。

パーティもお開きとなり、私も機材を撤収し、同行したふたりといっしょにその新社屋から退出しましたが、玄関ロビーから外に出たとたんに、このふたりから発せられた言葉に唖然としながらも、思わず笑ってしまいました。(今風にいいますと、「オオウケ」ですね)
大ダヌキ部長曰く、「チキショー、あんなやつらになめられてたまるか!」
付き人課長曰く「このままでは日本の会社はダメになる!」

ISO9001はその後、日本の製造業に普及しましたが、本当に品質向上に寄与したかどうかは疑わしいという意見は結構聞きます。そんな話を聞くたびに、あのパーティを懐かしく思い出します。

その後私は商品企画部門に異動しましたが、ISO9001の魔の手はこちらの部門にも及んでいました。当時の商品企画業務では企画立案に際し、簡単な企画書(正確な名称は「企画概要書」といいましたが)はありましたが、内容はかなり大雑把且ついい加減なものでした。そのため、よほどの企画変更がない限り企画書を変更するなどということはありません。

そんなわけですから、ISOの運用が始まるとそのままではとてもISOのドキュメントの管理基準をクリアーできないということで、その内容も大幅に見直されました。ところがそのドキュメントの作成とメンテナンスがもう大変で、次々と企画される商品に企画書作成が追いつきません。ついつい文書作成は後回しになり、事後につじつま合わせの書類を四苦八苦して作成したのを懐かしく思い出します。
(以下次号に続く)

PageTop

オフィスレイアウト変更

新年度を迎え、ピカピカの新入社員を迎えた会社も多いことでしょうが、弊社の新年度は人ではなく、ピカピカの机が入ってきました。

弊社に所属しているコンサルタントの先生方とは個別請負契約の形をとっていますので、普段は特段の所用がない限り先生方はオフィスには顔を出しません。そのため、常時使っている机と椅子(会議机と椅子は除いて)は最低限の数しか置いてないのですが、もう少しフレキシブルに人数が増えても対応できるようにしたいということで、個別の机を長い机に替え、窓に向かってカウンターのように机が並んだイメージのレイアウトになりました。

気分転換に部屋の模様替えを頻繁に行う人がいるそうですが、確かに効果はテキメンです。
ほとんど机を替えただけというのに随分と作業スペースが広がった感じがします。

ただし、残念なのは窓から見える景色が変わりようがないことでしょうか。通りを挟んで神奈川県警の巨大なビル(巨大地震が来ても絶対倒れることはなさそうです)が港の景観を遮っていることです。こればかりは仕方がありません。

PageTop